浮世絵 六大絵師の競演(山種美術館)

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 珍しく夜間開館していたので寄ってみた(9/16)。いつぶりだ? あれ?五年前?? そんなご無沙汰だったか。迷うわけだw。

 「六大絵師の競演」たって、行ってみたらほとんど広重の《東海道五拾三次》じゃんか。北斎は一点だけかよ。まあいいけど。こんなたくさん広重をじっくり見れたのもそうそうないかも。

 浮世絵はかなり顔を近付けて見るに限る。暗い部屋で行灯の薄明かりをかざし舐めるように蠱惑なスジを追う(あ、いやそういう版画だけじゃなくて…)。よくある浮世絵の展覧会はガラスに阻まれて顔を近づけていくと鼻とおでこをぶつけてしまう。ここはよいな。


歌川広重(初代)
《東海道五拾三次》1833‐34年(天保4‐5)
 東海道津々浦々。現代なら新幹線で三時間も掛からない旅程である。眺めている内にタイムスリップ気分に。しかし雨あり風ありを徒歩のみで数ヶ月(?)の旅を行くのはほぼ地獄巡りであっただろう。
 シリーズ中、川を渡す男たちが妙に出てくることに気付く。いわゆる矢切の渡しは船を使って通行人を渡す船頭で、ここに描かれるのは数人がかりで人を御神輿みたいに担ぎ上げ人力で向こう岸へ渡す男たち。郷愁を感じるよりも、川の恐ろしさを知っている人なら、「毎年何人か流されたのでは?」とか「冬はどうしてたんだよ?」とかツッコミどころ満載である。

《武陽金沢八勝夜景(雪月花之内 月)》1857(安政 4)年
 かと思えば、広重には壮大な金沢八景の大判錦絵もあったのか。ドローンでも飛ばしたのではないかと錯覚される鳥瞰図。超スペクタクル巨編である。

 ところで歌川広重に(初代)と付いてるので二代目とかいたんだな。でも喜多川歌麿も二代目がいたと聞く。なんでそっちには(初代)と付けないんだろう? 大人の事情?


 会場には二枚、撮影可能な作品があった。スマンが写楽はやっぱりおもしろさがわからない。スルーかよw。(ブログに載せてももいいんだろうなあ)
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喜多川歌麿
《青楼七小町 鶴屋内 篠原》 1794-95(寛政6-7)年頃
 さてやっぱり歌麿はおもろいな。歌麿の凄さに気付いたのもここ山種美術館なんだよね。考えてみれば随分お世話になってたんだな。この作品の注目は額の生え際の表現力。そばの解説によれば「毛割」と言われる技法で、彫師の腕の見せどころだったらしい(んじゃ歌麿関係ないじゃん)。今じゃ漫画家ならスクリーントーンで済ませちゃうとこだ。

《美人五面相 犬を抱く女》1803(享和 3)年頃
 浮世絵に出てくる人物は、広重の「東海道五拾三次」などを見ても豆粒くらいのミニアイコン的な存在で描かれることが多い。個性も何もあったもんじゃない。「大首絵」と呼ばれる、西洋の肖像画に近いバストアップの構図は写楽や歌麿による浮世絵の新展開だったらしい。

 ところで多くの人が気付くだろうが、この「犬を抱く女」は、ダ・ヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」と同じじゃないか。
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 歌麿がダ・ヴィンチの現物を見たことはもちろん、今みたいに印刷物もないのだから、「白貂を抱く貴婦人」が意識にあったなんてことはあり得ないだろうが、小動物といっしょに斜に向かう肖像画の構図コンセプトの西洋画の知識くらいはあったんじゃないかな。オランダ絵画の情報(遠近法とか)は出島から来て北斎なんかは学習していたから。

生まれ年
 喜多川歌麿 1753年頃?
 葛飾北斎 1760年?

 ほぼ同世代だね。

 それはともかく、面白いのは画面の中でダ・ヴィンチの貴婦人が左側(鑑賞者から見て右)を向いてるのに対し、歌麿のは右側を向いてる。反転した形だテンだけに。ちなみに歌麿の犬はチンである。カワウソかなんかにしか見えないけど。
 肖像画の場合、ダ・ヴィンチの向き(左向き)はちょっと珍しいと思う。普通右利きの人は、右手で右から左へ線を走らせるのが不得意なのだ。自分で描いてみればすぐわかる。だがよく知られているようにダ・ヴィンチは左利き。左手で絵筆を握って右から左へ走らすほうが得意だったのかな?って、そんなレベルの人じゃないけどね。それに、かのモナリザは右を向いているし。つまりどうでもいいということだw。
 で、あれ? 浮世絵版画の原画って反転して描くんだっけ?? こんぐらがってきたw。


 確かここ、中華料理屋さんだったはずだけど、イタリアンかなんかに変わっちゃったな。諸行無常である。
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