『世界最高のホテル プラザでの10年間』(奥谷 啓介)
愛する気持ちを呼び覚ます街ね、ニューヨーク。豪華ホテルでの素敵な体験を期待する日本人旅行者にこの本はさぞや衝撃だろう。でも世代によってかなり反応も違うかもしれない。「こんなものが世界最高のサービスか? けしからん!」と憤るのは昭和世代。平成世代なら(ああもう成人間近なのね)「そんなもんだろ」とクールに受け流すのではないか。といった風に、価値観や異文化のすれ違いを深く考えるきっかけとなる好著であった。
話には聞いていたオーバーブック。「あんたの予約はありません、お引き取りください」。そんな対応ありえるのかとその時は耳を疑ったが、根拠を聞けばなるほどなと理解した(実際直面したらキレるだろうけど)。こうしたコスト意識で欧米企業は突き進んでいるのか。これとほとんど逆のことをしている日本はそりゃ儲からないわけだよ。これはホテルだけの話ではない。
私が一番おもしろく感じたのは「平等感」のズレ。アメリカ式だと、人は皆"平等"であるから、「禁煙ルームでは従業員も受動喫煙から避けさせなければならない」、「お客様は神様なんかでは決してない」、「チップは感謝ではなく、当然の報酬」などの考え方が生まれる。
その一方で、実は強固な学歴社会であるというアメリカはどんなにがんばっても出世できない "平等でない" 職種が存在する。実力主義はまずそれができる土俵に上がってからの話。土俵にすら上がれない人たちに、出世欲や言われたこと以上のことを期待するのが酷というもの。「部下はとにかく誉めて使え」とするアメリカ流の部下操縦法には、こんな悲しい背景がある。人を叱るのはその人の将来を期待すればこそする指導だ。明らかに給与格差があっても派遣社員に社員と同じ責任や忠誠心を求める日本とどっちが平等なのだろう。
数字を見て損得をスパっと判断するアメリカ。どうしても義理人情や思いこみ込みが入る日本。どっちがいいか、一概には言えない。ただ例に挙げられた、日本におけるBSEへの過剰反応の一方で鳥インフルエンザへの軽視などは客観的に見ておかしい。パンデミックの恐怖はかなり日本の識者も警告しているが、どうにも国全体としては危機感が薄い。過去にペストなどの大流行にあったことがないからだろうか。アメリカもなさそうだけど、先祖ヨーロッパの記憶が蘇るのかな。
著者は世界に飛び出し国際交流を夢見てホテルマンになったらしい。しかしこの本を読む限り、やってきたのは「ニューヨークのホテルで困った日本人の対応に追われる」ことで、「日本人がいかにヘンかということを思い知った」に過ぎなくないか。まあそういう編集方針の元に書かされたんだろうし、書かれていない部分ですばらしい体験を色々されたんだろうけど。わざわざニューヨークまで行って一部のおバカな日本人のお守りするこたないだろうとは素朴に思う。
紹介される数々のトンデモ苦情の内、最初の方は異文化対応できない日本人が招いたものだが、後半紹介されるのは限りなく難癖か詐欺に近い。お客様だからとぐっと我慢するのではなく、犯罪行為としてしっかり落とし前付けさすのがオトナの態度じゃなかろうか。それとも、どちらかといえばガイジンに言い負かされてすごすご帰ってくる日本人の方が圧倒的に多いんだから、間に入らず最後まで自分たちだけでどこまでごり押しできるか高みの見物でもしていたらよかったかもしれない(悪魔)。
筆者は否定するだろうが、どうしても文面からはアメリカ式のサービスの方が優れているみたいな雰囲気を感じる。文中、著者が日本のホテルの対応の悪さに文句つけてる箇所がある。ご本人は愛する日本へ提言のつもりなんだろうが、これは著者がプラザで対処した困った日本人客のクレームとどう違うのか。いろいろこちらにも事情があるのだよと、アメリカのホテルはかばっているのに。
アメリカのサービスで本当によく耳にする苦情は、やはり自分の責任範囲以外のことは知ったこっちゃないという(日本人から見たら)超個人主義。オープンソース、ナレッジシェアリングの考え方を力説している国なのにこのテトリスのような隙間なしのセクショナリズムはどこからくるのか。階層社会であるがゆえなのだろうか。同じ階層同士ならナレッジシェアリングも推進するが、違う階層の人とは異教徒のように相まみえることはないのか。
中に出てきた、名字と名前の区別が付かずに予約の確認ができなかったトラブル。これがよくわからなかった。こういうのは対日本人ばかりの問題ではないだろう。姓名の並びが欧米人と逆なのは中国人だって韓国人だって同じこと。いわんやガイジンさんだって常に申告されたスペルがあっているとは限らない。あらゆる検索パターンを予測するのがサービスじゃなかろうか。
話には聞いていたオーバーブック。「あんたの予約はありません、お引き取りください」。そんな対応ありえるのかとその時は耳を疑ったが、根拠を聞けばなるほどなと理解した(実際直面したらキレるだろうけど)。こうしたコスト意識で欧米企業は突き進んでいるのか。これとほとんど逆のことをしている日本はそりゃ儲からないわけだよ。これはホテルだけの話ではない。
私が一番おもしろく感じたのは「平等感」のズレ。アメリカ式だと、人は皆"平等"であるから、「禁煙ルームでは従業員も受動喫煙から避けさせなければならない」、「お客様は神様なんかでは決してない」、「チップは感謝ではなく、当然の報酬」などの考え方が生まれる。
その一方で、実は強固な学歴社会であるというアメリカはどんなにがんばっても出世できない "平等でない" 職種が存在する。実力主義はまずそれができる土俵に上がってからの話。土俵にすら上がれない人たちに、出世欲や言われたこと以上のことを期待するのが酷というもの。「部下はとにかく誉めて使え」とするアメリカ流の部下操縦法には、こんな悲しい背景がある。人を叱るのはその人の将来を期待すればこそする指導だ。明らかに給与格差があっても派遣社員に社員と同じ責任や忠誠心を求める日本とどっちが平等なのだろう。
数字を見て損得をスパっと判断するアメリカ。どうしても義理人情や思いこみ込みが入る日本。どっちがいいか、一概には言えない。ただ例に挙げられた、日本におけるBSEへの過剰反応の一方で鳥インフルエンザへの軽視などは客観的に見ておかしい。パンデミックの恐怖はかなり日本の識者も警告しているが、どうにも国全体としては危機感が薄い。過去にペストなどの大流行にあったことがないからだろうか。アメリカもなさそうだけど、先祖ヨーロッパの記憶が蘇るのかな。
著者は世界に飛び出し国際交流を夢見てホテルマンになったらしい。しかしこの本を読む限り、やってきたのは「ニューヨークのホテルで困った日本人の対応に追われる」ことで、「日本人がいかにヘンかということを思い知った」に過ぎなくないか。まあそういう編集方針の元に書かされたんだろうし、書かれていない部分ですばらしい体験を色々されたんだろうけど。わざわざニューヨークまで行って一部のおバカな日本人のお守りするこたないだろうとは素朴に思う。
紹介される数々のトンデモ苦情の内、最初の方は異文化対応できない日本人が招いたものだが、後半紹介されるのは限りなく難癖か詐欺に近い。お客様だからとぐっと我慢するのではなく、犯罪行為としてしっかり落とし前付けさすのがオトナの態度じゃなかろうか。それとも、どちらかといえばガイジンに言い負かされてすごすご帰ってくる日本人の方が圧倒的に多いんだから、間に入らず最後まで自分たちだけでどこまでごり押しできるか高みの見物でもしていたらよかったかもしれない(悪魔)。
筆者は否定するだろうが、どうしても文面からはアメリカ式のサービスの方が優れているみたいな雰囲気を感じる。文中、著者が日本のホテルの対応の悪さに文句つけてる箇所がある。ご本人は愛する日本へ提言のつもりなんだろうが、これは著者がプラザで対処した困った日本人客のクレームとどう違うのか。いろいろこちらにも事情があるのだよと、アメリカのホテルはかばっているのに。
アメリカのサービスで本当によく耳にする苦情は、やはり自分の責任範囲以外のことは知ったこっちゃないという(日本人から見たら)超個人主義。オープンソース、ナレッジシェアリングの考え方を力説している国なのにこのテトリスのような隙間なしのセクショナリズムはどこからくるのか。階層社会であるがゆえなのだろうか。同じ階層同士ならナレッジシェアリングも推進するが、違う階層の人とは異教徒のように相まみえることはないのか。
中に出てきた、名字と名前の区別が付かずに予約の確認ができなかったトラブル。これがよくわからなかった。こういうのは対日本人ばかりの問題ではないだろう。姓名の並びが欧米人と逆なのは中国人だって韓国人だって同じこと。いわんやガイジンさんだって常に申告されたスペルがあっているとは限らない。あらゆる検索パターンを予測するのがサービスじゃなかろうか。

ハッタリをかまし過ぎ ...
アメリカへ旅行する前 ...
あぁ・・そうそううん ...
"『世界最高のホテル プラザでの10年間』(奥谷 啓介)" へのコメントを書く