『生物と無生物のあいだ』(福岡 伸一)
生命学の科学史や著者自身の半自伝的要素そして研究者の悲哀も込められたちょっと不思議な本。なかなか文章はうまい。科学専門誌でなく講談社のミニコミ誌連載(?)がゆえにこんなテイストになったのか。
題名を聞いてすぐに思い出した。A・アシモフにもこんな著作があった(ハヤカワ文庫『アシモフの科学エッセイ4 生命と非生命のあいだ』 <意識してるのかな?)。原子レベルでいけばまったく同じ物で構成されてるにも関わらず、生命と非生命の間にはとてつもない隔たりがある。その隔たりを埋めるものは何なのか? アシモフの本ではわかったようなわからなかったような…、なんかはぐらかされた記憶があるのだが、まあそう簡単にわかってたまるかってことか。
ヒトゲノムの解析など、始まったばかりの分子レベルでの生命理解。あまりに話題になるので、DNAこそ生命そのものと勘違いしている向きも少なくない。DNAはあくまで生命の青写真に過ぎない。著者は生命を浜辺に置かれた砂上の楼閣に喩える。波に洗われて絶えず崩されるにもかかわらず、即座に別の砂が送り込まれ全体として楼閣の形が変わることはない。体の構成物が入れ替わっているにも関わらず"自己"が続いていく不思議。生命とは系(システム)である、とは仏教でいう「空」の思想に近いのではないか。すべてのものに実態はない。最先端の科学も行き着くところは二千年前から唱えられていたことに過ぎないのか。
この辺の話は武者小路実篤(古いなぁ、もうほとんど読まれないだろうな)で昔読んだことがある(『友情』を読んでそんなとこ覚えてるバカも私くらいだろうな)。つまり数ヶ月で体の構成物はすっかり入れ替わってしまう、ゆえに我々は霊的存在なのだ、みたいな説。後に脳細胞だけはさすがに生まれてから不変だという訂正説を信じていたのだが、この本に寄れば脳さえも循環しているとしている。ほんとかね? そこ大事な所なんだけど、どうもなんど読み返してもほんとの結論がよくわからない。またはぐらかされたか。誰かおバカな私に教えて。
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
題名を聞いてすぐに思い出した。A・アシモフにもこんな著作があった(ハヤカワ文庫『アシモフの科学エッセイ4 生命と非生命のあいだ』 <意識してるのかな?)。原子レベルでいけばまったく同じ物で構成されてるにも関わらず、生命と非生命の間にはとてつもない隔たりがある。その隔たりを埋めるものは何なのか? アシモフの本ではわかったようなわからなかったような…、なんかはぐらかされた記憶があるのだが、まあそう簡単にわかってたまるかってことか。
ヒトゲノムの解析など、始まったばかりの分子レベルでの生命理解。あまりに話題になるので、DNAこそ生命そのものと勘違いしている向きも少なくない。DNAはあくまで生命の青写真に過ぎない。著者は生命を浜辺に置かれた砂上の楼閣に喩える。波に洗われて絶えず崩されるにもかかわらず、即座に別の砂が送り込まれ全体として楼閣の形が変わることはない。体の構成物が入れ替わっているにも関わらず"自己"が続いていく不思議。生命とは系(システム)である、とは仏教でいう「空」の思想に近いのではないか。すべてのものに実態はない。最先端の科学も行き着くところは二千年前から唱えられていたことに過ぎないのか。
この辺の話は武者小路実篤(古いなぁ、もうほとんど読まれないだろうな)で昔読んだことがある(『友情』を読んでそんなとこ覚えてるバカも私くらいだろうな)。つまり数ヶ月で体の構成物はすっかり入れ替わってしまう、ゆえに我々は霊的存在なのだ、みたいな説。後に脳細胞だけはさすがに生まれてから不変だという訂正説を信じていたのだが、この本に寄れば脳さえも循環しているとしている。ほんとかね? そこ大事な所なんだけど、どうもなんど読み返してもほんとの結論がよくわからない。またはぐらかされたか。誰かおバカな私に教えて。
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