『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版』(シェリー・ケーガン)

 死に対する考察は哲学が始まって以来の人間のテーマであるため「それもう聞いたことあるよ」というのも多いが、イメージしやすくかつユーモラスなたとえ話も豊富で、名門大学での人気講座というのも肯ける。

 この本は抄訳版と完全版がある。抄訳版の方がUnlimitedなので、ほんとはそっちで読もうと思っていたら、指が滑って「完全版」をワンクリック注文してしまった。あれキャンセルできた試しがないのだがなにかのトラップなんだろうか?

 それはさておき、完全版のカットされた前半は形而上学に則った死の考察で、ビジネス書的に読まれるのならたしかになくてもいい、というか後半に至るまで挫折してしまう人がいるかも知れない。編集判断は正しかったのではと思う。

 でも私が読んでいて感じたのは哲学の限界。この講義の中でケーガン先生の立場や論拠は、「人が意識できないものは、実在しない」という主張に見える。つまり無意識の観点がほとんど抜けてる気がした。哲学とは考えることについての学問なので、無意識=意識していない=考えていないことについて論じることは、有意識の学問ではテリトリー外なのかな?

 いくら理詰めで「死など恐れるに足らず!」と突き詰めても、それでも漠然とした死への恐怖が残るのはつまり無意識がそうさせているはずなのだ。

 また、テクノロジー(コンピューターやAIの能力)の圧倒的な進化ゆえにまた新たに見えてきたものがあり、脳への理解が進めば進むほど人間の思考ってなんだろ?と思いを強める今日このごろ。そうした新しい科学的な解釈についてもほとんど触れられてないと思った。

ラジカセを落として地面に打ちつけてしまったとしよう。ラジカセはもうきちんと機能できない。壊れてしまった。いったん壊れてしまったら、機能できなくても少しも不思議はない。

構成要素が互いにつながっていて、きちんと相互作用しているときには、どうしてそれらが作動するかを説明する必要はある

 だれがラジカセを作ってどういう仕組で目にも見えない電波なんてものを受けて内容を再生できるのか? そこが問題なのに。

 しかし、哲学書(まあこの本はほんの触りだが)って読み込むと内容を理解できてるかどうかは別として、考えて考えて読んでいくせいか、脳が活性化するのを感じる。普段見ている世界が新鮮に映るよ。


「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版 - シェリー・ケーガン, 柴田裕之
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版 - シェリー・ケーガン, 柴田裕之

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