『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(橘 玲)

 みんな薄々気づいて入るが公に口にしてはいけない「不都合な真実」。もともと人は(というかあらゆる生物は)まっさらでは生まれてこない。昔から「氏か育ちか」といわれるが、科学的な統計データによればどうやら「氏」でその人の人生はほとんど決まってしまうらしい。

 体の大きさとか筋力とかで生まれつきがあるのはわかる。でも知力はその後の自分の努力で変わるものじゃないの?(´;ω;`) という凡人の切なる望みを著者はバッサバッサ切っていく。無駄無駄無駄無駄無駄無駄!

 恐らくそれはほぼ正しいのだろう。でも、私は「だからそれがどうした」という話に思える。プロスポーツ選手になれるなれないとかいう話は別として、一般的なレベルでの発達・修正は後天的にもかなり効くと思う。

 更にこれはまったくの仮説だが、この本にあるように、人種間で生まれつき知能の差が統計的優位に存在し、育った環境を整えてでも結局それほど変わらないのは永遠不変の法則ではなく、たかだか一~二世代程度での期間では環境が資質に影響を与えるほど十分ではないということではないか。

 つまり人種とは育った環境でのニンゲンの対応の結果であり、「種」として分類できるほどの差異ではない。ホモ・サピエンスは1種しか定義できないと聞いた覚えがある。人種の資質は幾世代も掛けて培われてきたその民族が生活する特有の自然環境から来る慣習や生活習慣からのもの。

 たとえば黒人のフィジカルに優れたバネがあるのは、そうした能力が生活する上で代々求められてきたから。そうした親からそうした子どもたちが生まれてくる。それを受け継いできた黒人の子供と受け継いでいない白人やアジア人を同じ環境で一世代程度育てたとしてもその生まれつきの能力に差は出ないのではないか。彼らを数百年同じ環境で数世代育てて初めて差がなくなるのではと私は考える。気の遠くなる実験だが。

こんな笑い話(?)もあるし。




 では「知能」はどうなのか。考えるにまずその定義から疑わなければ。たとえば(人種間の話はまずおいとく)原始人は現代人より知能が劣っているのか? 丸裸でジャングルに投げ出されて現代人はサバイバルできるか? 原始人は生き残る知恵と知識(食べられる草とか狩猟する動物の習性とか)を現代人より持っているはず。これは「知能」ではないのか? 
 さらに言えば動物はニンゲンより知能が劣っているのか? 誰からも教えられず厳しい環境でも生きていけるのは天才というやつではないのか…? うーん、どんどんわからなくなってくる。でも 知識×行動=知能 とするならば、やはり何を知ってどう行動すべきかは環境に大いに左右されると思う。


 やっぱりいろいろ突っ込みどころがある。にしてもこのひと文章がうまい。情緒的なところが一切なく明晰。そこは危険と同時に(コロッと騙されそう)好感が持てる。











言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)
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橘 玲


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