『グレン・グールド-未来のピアニスト-』(青柳 いづみこ)

 グレン・グールド。キャリアの絶頂時にコンサートツアーを止め、引き篭ってレコーディングに専念した極めて異端のピアニストと言われる。同業者からすると「なぜコンサートを開かないのか?」が最も問題となるらしいが、そんなギョーカイとは一切関わりのない私にいわせれば、事あるごとに作曲家志望を公言しながら「なぜ作曲家にならなかったのか」?が最も気になるところ。

 グールドに関する本はこれまでもけっこう読んできた(大半忘れかけているが)。この本は久しぶりに読む彼の評論というだけでなく、これまでとだいぶ違った新鮮味がある。

 ミステリー好きでも知られる著者の青柳いづみこさんは、現役ピアニストでありながら著作も多数。ゆえに実際弾ける人でなければ決してわからないような正確で細かい運指の解析が瞠目の思い。それらを見抜ける人自体は他にもいるだろうが、なぜその動きをピアニストが選択するのか、素人でもわかるように言語化出来る人はそうはいないはずだ。

 例えばグールドが大会場でのコンサートをドロップアウトした、またはショパンやリストをほとんど弾かなかった理由のひとつを、「回転させる、投げる、飛ばすなど腕全体を使ったテクニック」が苦手であったからと見ている。そうした技術なしでは大ホールで効果的にピアノを響かせる事が出来ない。門外漢にはわかりにくい話だが、確か吉田秀和先生がグールドのピアノを「薄い音」と評していたことからもなんとなく知れよう。柔道じゃねーんだよwとも思うが、この辺の表現はやはり実際に弾く人でないとわからない。


 第十五章「ボクは作曲家になりたかった」 にていよいよ確信に迫る。

 ピアニストの王道的レパートリーから自然と遠ざかってしまったグールドの天才がもっとも発揮されたのは、自分の作曲でもなく、演奏活動でも著作活動でもなく、自分自身の素材を使っての編集という、画家でいえばコラージュに近い創作活動でだった。

 これは重い指摘だ。音楽芸術において、作曲家こそが創造者だろうか? いやいや、楽譜=音楽ではない。音楽は音を有機的に再構成する事で創造性を生む芸術。現実を再構成する写真家にも通じるのかも知れない。音楽は再現芸術。演奏されない限り音楽は何も始まらない。ならばどう演奏されるべきかを究極に成し遂げたグールドの様な演奏家こそが未来の音楽家の姿だったのか。


---------------------
 グールドの到達点といえば、無論二度目の「ゴールトベルク」だろうが、あれを別格とすると、私は晩年の「トッカータ」ではないかと思っている。隙間なく緻密に鳴らされるアーティキュレーションの中になぜか静寂の間を感じるパラドキシカルな音の反宇宙である(<わかって書いてるのか?)。

 なぜかようつべに全曲(?)うpされてる。


 私なんかに語る資格はないけど、ほぼ完成形に近いグールド節の解釈を至る所に入れているんじゃないかという気がする。またバッハはそうできる楽曲なのだろう。グールドがバッハに実質的にほぼすべてのエネルギーを捧げた(他の作曲家に於けるへんてこな演奏はバッハを極めるための練習)のはそれが自分の使命と考えていたから。


---------------------
 恐れを知らずあれこれ書いてきた。音楽評というものはいい加減なもので、同じピアニストに関する感想を見ていても、まったく正反対の意見が出ていたりする。グールドに関して言えば、「クール、理知的」という評価の傍ら、「尊大で、情念たっぷり」みたいなものもある。だから(楽器なんか一つも弾けやしない)私の戯言もそれなりに誰かの役には立つだろう。

 もともと青柳さんもグールドのファンというわけはなかったようだ。それでも十分に聴きこんだ上で思い入れを捨て少しでも事実に沿った論考にしてくれたように思う。

 で、その元ネタはこの音源から取られたような事がちょくちょく言及され、なんかちょっとプロモーション目的の依頼でも来たのかなとちと穿った見方もしてしまった。…まんまと買っちゃったけどね(笑)。



 ちなみに iTunes でも売っているがアマゾン(MP3)の三倍高い(!)。中身同じだと思うんだけどなあ。








グレン・グールド―未来のピアニスト
筑摩書房
青柳 いづみこ


Amazonアソシエイト by グレン・グールド―未来のピアニスト の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック