映画「ゲド戦記」
昨夜レイトショーにて観てきました。やっぱこれダメでしょうねえ(爆) まあ感情的な酷評はあちこちでされているようだけど、私が思ったのはシーンごとのつなぎが雑じゃないかなと(うむ、ツウっぽい意見)。どうしてそうなるのかよくわからないストーリーの流れでした。なぜアレンは父である王を殺さねばならなかったのか? なぜアレンはあんなに強くゲドはあんなに弱いのか(笑)? なぜ**は最後に**になったのか? なぜ世界の均衡が崩れたのかも結局明かされない。原作を読めばわかるっつーのはご勘弁願いたい。
原作は私、随分昔に第一巻しか読んだことありません。ほとんど記憶がない。暗く沈んだ、冒険活劇にはほど遠い哲学的内容だったことと、「影」も「真の名」もかろうじて覚えてはいましたが。映画は三巻目を中心にあちこちからエピソードを抜き出したみたいですね。最初の主人公だったゲドはもう脇役に回ってます。最初に映画化の話を聞いたときにも思ったけれど、あのロゴスの国の超哲学的なお話を非合理なジャパニメーションでまとめるのは無理だったのでは。たとえ監督が誰であっても。
吾郎監督と宮崎駿氏との親子関係があれこれ週刊誌ネタになってたり、アレンの抱える不安は吾郎監督の不安とどうしても重ね合わせてみてしまう。原作にない父親殺しのシーンをわざわざ入れてるのもヘンに勘ぐられるだけではなかったか? それでも父親の築いた世界観から抜け出せてないと思うし(知る人ぞ知る「シュナの旅」を一部使っているのもよくわからん)。自虐趣味なのか? こんな作品を世に送り出したジブリの姿勢に疑問を持つ。
シュナの旅
原作は私、随分昔に第一巻しか読んだことありません。ほとんど記憶がない。暗く沈んだ、冒険活劇にはほど遠い哲学的内容だったことと、「影」も「真の名」もかろうじて覚えてはいましたが。映画は三巻目を中心にあちこちからエピソードを抜き出したみたいですね。最初の主人公だったゲドはもう脇役に回ってます。最初に映画化の話を聞いたときにも思ったけれど、あのロゴスの国の超哲学的なお話を非合理なジャパニメーションでまとめるのは無理だったのでは。たとえ監督が誰であっても。
吾郎監督と宮崎駿氏との親子関係があれこれ週刊誌ネタになってたり、アレンの抱える不安は吾郎監督の不安とどうしても重ね合わせてみてしまう。原作にない父親殺しのシーンをわざわざ入れてるのもヘンに勘ぐられるだけではなかったか? それでも父親の築いた世界観から抜け出せてないと思うし(知る人ぞ知る「シュナの旅」を一部使っているのもよくわからん)。自虐趣味なのか? こんな作品を世に送り出したジブリの姿勢に疑問を持つ。
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