少佐の記憶-Memoirs of a major-

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zoom RSS ダリ展 -完璧を恐れるな- (国立新美術館)

<<   作成日時 : 2016/10/06 22:38   >>

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 「私はダリでしょう」なんて伝説のコピーで世間の衝撃を与えた前回の「ダリ回顧展」(上野の森美術館)からもう10年が経つのか。

 ちなみにこの記事はブログカウンターによれば4213HIT(本日現在)もしてる。いつも閑古鳥の私のブログにしたら記録的ヒットである。未だに理由はよくわからない。謙遜なく断じて大したこと書いてないんだけどな。この頃はまだ目に留まった作品を詳細に感想(限りなく与太話)を書くようなことはしてなかったから、今読み返してもどんな作品が来ていたかもよくわからん。

 今回のダリ展も超有名これぞシュール!みたいな作品はそれほど来てない。国内の美術館が保有しているダリ作品をかき集めてきた感もある。しかしダリの初期や晩年の作品をこんなにたくさん見たのはたぶん初めてだと思う。

 今回のコピー「完璧を恐れるな」とはどういう意味だろう。そもそもダリの言葉なのか? まあ前回も「私はダリでしょう」なんて(日本語で)言ったはずもないので、今回も主催者側(コピーライター)の手によるものなんだろうが。

 普通芸術家は完璧を目指しながらそれを恐れる。完璧とは終焉を意味し、それ以上の進歩が望めないから。日本画には完成させた作品にわざと傷を入れ、完璧を避ける作法が存在したとも聞く(泡坂妻夫さんの小説で紹介されていたはずなんだけど出典が思い出せん。小説中の架空の作法ではないと思ったのだけど)。

 しかし所詮人は生きてる内に完璧になんざ辿り着くことはどうせ出来ない。そんなこと気にするヒマがあったら自分の芸に死ぬ気で勤しめ、そんな意味なのか? それとも完璧を極めたらまた次の完璧へチャレンジをすればいいのだよというポジティブなメッセージ?


 そんな思いを胸に入館。初期作品は(どんな画家もそうだが)まだ作風が定まっておらず、完璧には程遠く、同時代の他の画家のパクリが多い。(言及した作品の多くは公式HPのここで見ることが出来る)

《魔女たちのサルダーナ》1918年
 魔女さんたちが手繋ぎあってくる〜りくるり。ゴヤにこんなのあったな。

《ラファエロ風の首をした自画像》 1921年頃
 でこっぱち。海を背景にしたトルソーのはずだが、首が長すぎだし遠近法のバランスもヘンなので海底から巨大な海坊主が顔を出したようにみえる。このトリッキーさは意図的なものと思う。色合いはたしかにゴーギャンだね。

《背後から見たカダケス》1921年
 これはセザンヌ風だな。

《聖十字架祭のためのポスター》1921年
 これはマチスかな。フォービズムっぽい。

《カダケス》1923年
 これはスーラか。かの有名な「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の雰囲気があるのだが。画面上で風に流されてるのは潰れた気球? 紙風船? 遠近法の解釈でどっちとも取れるのはこれもダリの罠だろうか。

《アス・リャネーの浴女たち》1923年
 いやいや、これははっきりスーラだろう。(完全じゃないけど)点描画だもん!
 それにしても、近代絵画技法のデパート状態だね。ピカソもパクリ大将だけど、手数ではその上を行ってる気がする。

《ルイス・ブニュエルの肖像》1924年
 ダリ展にはもれなく「アンダルシアの犬」が付いてくるのだろうか? いつもそうだ。ここでも上映されてた。あの目んたま切り裂くシーンがイヤなのでスルー。
 ブニュエルとダリは学校時代のお友達だったらしい。良き出会いだねえ。

《岩の上の人物》1926年
 これはキュビズムの応用。ダリも時代の流行に乗りかなりマジメにキュビズム描いてたんだと他のまるっきりブラックな作品でも知る。フジタもやってたくらいだし、一度は試してみなきゃいけない空気でも当時あったのか。
 ただこれはものまねでないダリのオリジナリティが光る気がする。岩の上に岩みたいな女が大の字に寝そべる。天に差し向けられた左手から泉のように水が流れ糸を引く。これはブニュエルの映画に通じる気がする。

《子ども、女への壮大な記念碑》1929年
 モナリザ、ミレーの「晩鐘」、キリスト(?)…あらゆるものが融合しモコモコと増殖していくかのように伸びていく。ノりにノってる時代の寵児の万能感の現れだろうか。今でこそ見慣れたような造形だが、その元祖であるダリはこうしたイメージをどこから得たんだろうか? クスリ??

《姿の見えない踊る人、馬、獅子》1930年
 だまし絵。人と馬と獅子のイメージが癒着する。雲も岩になる。

《皿のない二つの目玉焼きを背に乗せ、ポルトガルのかけらを犯そうとしている平凡なフランスパン》1932年
 わけの分からない標題はかの「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会い」みたいなもんだろう。今見るとちょっとこっ恥ずかしい流行に乗った中二病のようなものだが。でも絵のテクは古典絵画の技法に則った立派なものである。しかも放送禁止的にエロいし。

 合体する運命なのね!


 この映画のインスパイア元になったかどうかは定かでない。

《降りてくる夜の影》 1931年
 砂漠に転がる魔法の杖? 闇の出る懐中電灯みたい。ブラックライト?

《謎めいた要素のある風景》 1934年
 ダリなりのフェルメール賛歌。この絵どこかで見た気がするんだけどな。初来日?
 ここで見たダリの絵と混同したかもね。

《奇妙なものたち》 1935年頃
 ダリと言えばやはり超絶テクニックに裏付けされた奇妙なありえない奇想イメージの具象が本分で、またこの絵にあるようにあちこちに相似形を並べて呼応させるリズム感も見落としてはいけないところだが、塗りのテクもかなり独特なものがあったのでは?と今回気付いた。
この作品でも赤と黒の対比をこんな風に見せられる人を他に知らない。この塗りの色合いや質感は印刷でもディスプレイでも出ない。現物を見に行こう。

《幻想的風景 暁・英雄的正午・夕べ》1942年
 横浜美術館にあるやつだ。そこだと写真に撮れる。最近見かけてなかったんだよね。借り物の時は撮影不可なんだねえ。
 ただ三連の大作ではあるが(であるがゆえ?)ちょっとダリにしては大味な作品なんだよね。


《雲の中の戦い》1979年
 「立体鏡絵画」ということで、ほぼ同じ構図の絵が二枚並べて飾られていて、特殊な装置を使うと立体視出来るとのこと。「その装置がなきゃわかんねーじゃん」とか文句言ってる人いたけど、自分で寄り目にすれば出来るよん。私は難なく出来るのだ (6_9)

《船》1942-43年
 帆船を頭にした船人間であるw。並べて置かれたモンタギュー・ドーソンという人の「風と太陽…稲妻号」という帆船画のパロディとのこと。「フネフネの実」を食べた能力者かと思ったよ。

《ウラニウムと原子による憂鬱な牧歌》1945年
 広島長崎に落とされた原子爆弾にショックを受けて制作されたとのこと。エノラ・ゲイ、大リーガー、アメリカを表すアイテムが散らばる。要するにダリによるゲルニカなんだな。これも木炭みたいなつや消し黒の地に惹き込まれる。

《ポルト・リガトの聖母》1950年
 ガラをモデルにした超有名大作の一つだろう。しかし福岡市美術館にあるんだねこれ。金あるなあ。

《テトゥアンの大会戦》1962年
 かなり後期の作品。砂嵐の夢幻。全般に幻想的ではあるがシュールさはなくある程度写実的。諸橋近代美術館ってとこにあるのか。ここからの出展いくつかあった。どこにあるんだ?  …福島県の猪苗代湖かい!遠杉!でもいつか行ってみよう。ダリコレクションとかで有名みたいだ。



 訪問したのは9/30金曜日の夜間開館(ほんとは京都でお先に見ようと思っていたのに叶わず)。若い女性の連れが多かった気がする。


 例によって最近の流行りなのか、最後に撮影可能なコーナーがあった。ダリのオリジナルではなく、レプリカだと思うが。正面に大きな鏡があって、自分といっしょにでっけえ美人さん(?)とのツーショット(?)が写せる。
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 でも係員さんに「閉館時間の8時を過ぎましたら、写真撮影はおひとりさま一枚限りとさせて頂きます!(とっとと帰れよ!)」と連呼され、こりゃ失敗は許されん!とプレッシャーからビクビクしながら撮った一枚w
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需要あるのかな…w

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