少佐の記憶-Memoirs of a major-

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zoom RSS 国立西洋美術館ファンデーで《聖プラクセディス》を見てきた

<<   作成日時 : 2015/06/21 21:26   >>

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 みなさまの国立西洋美術館、年に一度(?)のフェスティバル? 入場無料で常設展が楽しめ、子どもたち向けに美術講座なども行われている。ここの常設展は質量共になかなかレベルが高い。撮影も個人の範囲であればOKである。


 常設展は時間に余裕があれば企画展の帰りに寄っていたが、夜間開館に来ることが多いためそういえばそれほど来ていないかも。改めて眺めて歩くと、セガンティーニなんかもあったんだな。


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ジョヴァンニ・セガンティーニ
《羊の剃毛》(1883-84年)
 点描画を線で行うディヴィジョニズムの手法はまだ使われていないと思う。しかしもともと不思議な解像度を見せる画家だったのだな。光の当て方、ほぼモノクロ画面の中央に赤い帽子とグレーっぽいシャツのお兄ちゃんを置いて際立たせている。

 ハンマースホイもあったのに、いなくなってるな。倉庫にしまわれたのか巡業に出ているのか。だが実はその代わりに大目玉作品が展示されている。これがタダで見れるなんてなあ。

 でも撮影はダメなのね。悔しいからこっそり写り込ませてやったぜ!(これでもダメかな?)
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ヨハネス・フェルメールに帰属
《聖プラクセディス》 1665年頃
 フェリーチェ・フィチェレッリというイタリア画家の作品を(たぶん)フェルメールがほぼ模倣して制作されたとされている(異論もあるようだ)。まあフェルメールかも?という枕詞がなければ、それほど価値のある絵ではないだろう。論争の末、真作だろうという方向に今のところは向かっているらしい。その根拠の一つとして、絵の具の解析で他のフェルメール初期作品と構造が同じものが見られるとのこと。
 科学的なことはともかく、例えば以前見た例の若いモナリザ(?) 《アイルワースのモナ・リザ》はダ・ヴィンチの真作だろうと思ったが、こちらは直感的にはフェルメールとは思えなかった。あまり "らしさ" が見られないのだ。それについては、まだ自分のスタイルを確立する前、彼が修行時代よく描いていた宗教画の一枚(これは彼が23歳頃の作品ではないかと推測されている)だろうとの解釈だ(そもそもフェルメールの宗教画はどれも "っぽくない" んだけどね)。

 首のはねられた殉教者の血を海綿で吸い取り聖杯に搾り注ぎ込む 聖プラクセディスさん。聖書の逸話に出てくる場面なのかなと思ったら、よくよく調べると必ずしもそうではなく、「聖人」であることは確かなようだが、何者であるかについては諸説あり定まったものはないようだ。
 そのへんは特にどうでもよいこと。この絵の中で彼女の取る仕草、搾られた血液(液体)が上から下に器の中に滴り落ちていく…ここに着目したい。次第にあの言わずとしれた有名なフェルメール作品《牛乳を注ぐ女》が思い浮かばないか。もちろんその他に似ている部分はほとんどない両者だが、注がれる牛乳のモチーフの原点がここにあるといったら穿ち過ぎだろうか。
 いやいやでも、こう並べてみると女性の顔の向き、表情、肩の角度、両腕の位置、ほとんど相似である。やっぱ意識下にあったんだろうか? そんな研究はないのかな?

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 私なりにこれがフェルメールの真作であるという手がかりを絵の中に見つけられるとすれば、こんなところか。


 ふむ、これからは極力企画展の帰りにはこの絵を覗いていこう。









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