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zoom RSS 『イタリア語通訳狂想曲 シモネッタのアマルコルド』(田丸 公美子)

<<   作成日時 : 2011/09/06 23:16   >>

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 英語をはじめ語学を勉強する人の憧れる究極最終形態が通訳であることはまず疑いない事実だろう。ガイジンさんに何を言われてもスラスラと受け答えができる国際人の見本の様なステレオタイプイメージが容易に浮かぶ。でも現実は甘くない。労多くして功少なしの代表格。通訳なんてなるもんじゃないとの思いをまた強くした。この本はイタリア語通訳の第一人者である著者がNHKイタリア語講座テキストに連載されたコラムを中心に集めたもののようだが、これ読んでリスナーの皆さんは学習意欲がわくのだろうか(苦笑)

 インタープリーターは表面上の言葉の裏にある異文化理解の橋渡しを何よりしなければならない。やることの膨大さに比べてその対価や社会的地位はどうだろうか。超人的な同時通訳業務。以前も聞いたことがあるが、数人で回し休み休みやらないと脳がオーバーヒートしてしまう重労働である。

 私には通訳経験はないが、二日間ほぼ一人でしゃべるまくる(もちろん日本語よ)仕事が週二回入った時は、家に帰って体よりも精神的に危機感が迫ってきたのを覚えている。単言語であっても言語能力の酷使は脳に負担が掛かるのだ。

 そしてどんな専門用語も訳せて当たり前と思われてしまう哀しさ。長年不思議に思っていたが、どうしても話者の言ってることがわからないときはどうしているんだろう。やっぱり流したりごまかしたりしてるのだね。無論正攻法は「素直にどういう意味か話し手に聞く」なんだろうけど、それを許さない環境も多い。ウルトラCのユーモアで苦境を乗り越える著者の武勇伝(?)は読んでいて勇気をもらえる(気がする)。

 著者の人間観察の目は暖かで時に辛辣。マザコンだのファッションに異様にこだわるなどイタリア人事情を読んでいてどこかで聞いたなとふと気付いたのがあのローマ温泉マンガ「テルマエ・ロマエ」。あの作者もイタリア語ガイドさんかなんかじゃなかったかな?(持ってるんだからそれくらい知っとけ)



 本の終盤では、あまりに自由なイタリア人に困り果てる思い出話や人情なしの新世代イタリア人に呆然とする著者のイタリアを愛すればこその苦言も書かれる。しかし、門外漢の私はなんとなくローマより続くイタリアの懐の深さを信じたい。昔河合隼雄先生がどこかで「アメリカ人もイタリア人も同様に明るいが、アメリカの明るさは裏に持つ暗さの裏返しで虚ろ、それに対しイタリアは天然だ」みたいな事を書かれていたのをふと思いだした。


 ところで、私にイタリア語の知識はほぼ皆無だが、この本で出てくるイタリア語の "tu" という親称に反応した。ドイツ語にも同様のものがあるのだ。ドイツ語圏で生活する多くの外国人が悩まされるという Sie と du の使い分け。どちらも英語で言えば you なのだが、あらたまった関係なら Sie 、親しい間柄なら du と習う。しかし単純にこれを「あなた」と「お前」と訳すと大きく間違う。Sie と du は「心の距離の近さ」に従い使い分ける。決して上下関係ではないところが日本人には特にわかりにくい。

 だから神との対話に彼らは du を用いる。キリスト教圏の人々にとって神は自分と共にあるものだから(プロテスタントっぽい?)。これも神様を「祀り上げる」日本宗教観との違いだ。ドイツ語とは英語の方がイタリア語よりも近しい気がしていたのに、英語に du にあたる言葉はないのも面白いものだ。










イタリア語通訳狂想曲 シモネッタのアマルコルド
NHK出版
田丸 公美子


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