少佐の記憶-Memoirs of a major-

アクセスカウンタ

zoom RSS ゴッホ展 こうして私はゴッホになった(新国立美術館)

<<   作成日時 : 2010/10/20 21:50   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

 ゴッホもヘタウマ系の画家である。まあアンリ・ルソーよりはテクあるけど。今回はゴッホがいかにしてゴッホになったかの系譜をたどる企画らしい。情念だけで突っ走った印象のあるゴッホ。だがその足跡を見れば積極的に外部から学習(ありとあらゆる人からのパクり?)し、飽くなき研究・開発を続けた人だった。彼の絵の中には本がよく描かれている。愛読書は色彩理論書だったという。また筆まめで弟テオ宛に膨大な数の手紙を送っているのもよく知られたこと。ゴッホをゴッホたらしめたのは狂気ではなく理性であった。「わだばゴッホになる!」


《秋のポプラ並木》 1884年
 ゴッホがその初期にミレーらバルビゾン派の強い影響下にあったことは誰もが知るところ。この絵などまさにそのまんま。いわゆるゴッホらしさはほとんどない。これはコローあたりがよく取りそうな構図だ。ただコローとゴッホについてあまり関係を指摘されることはないような。

 カミーユ・コロー(1796 - 1875)
 ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ(1798 - 1863)
 ジャン=フランソワ・ミレー(1814 - 1875)
 フィンセント・ファン・ゴッホ(1853 - 1890)

 こうして見るとコローとほぼ同年代のドラクロワ(殿堂入りの正統派)には傾倒し、師事したりしているのに、ゴッホと同じくモダン絵画への先見性のあるコローとの接点がないというのも面白いものだ(あったのかな)。


「パースペクティブフレーム」
 この展覧会では(テレビ局企画だから?)模型やらポリゴンやら活用した試みもいくつか。その一つがこの木枠に升目を取り、それを通してモデルを見ることで正確なデッサンができるという「パースペクティブフレーム」。なんだかずるっこしてるような秘密兵器である。まあこの手のものはフェルメールも使っているし(「カメラオブスキュラ」)、升目の工夫はこないだの北斎でも出てきた。
 こういう道具、ピカソはあまり使っているイメージがない。あの人は線の画家だから勢いがなくなっちゃうからね。ゴッホはこういうの(ちょっとの間だけだったかも知れないけど)使う割には構図の妙とかにはそれほど優れていないと思う。彼は色彩の画家だったから。


《アルルの寝室》 1888年
 なんと展示会中、美術館はこの部屋を実物大のモデルルームで再現した(笑)。実際の製作はきっとTBSの大道具さんだろう。かの「黄色い家」にあったゴッホの寝室。《アルルの寝室》は3バージョンあるらしい。私が過去に見たのは2番目のオルセーバージョンだったのか。各バージョンにそれほど大きな変化は見られない(色合いや画中画が違うようだが)。なぜゴッホは三度も同じモチーフ・構図で制作したのだろうか。黄色い家での様々なエピソードを思い起こすにちょっと薄ら寒いものが…。
 両端に設置されたモニターでCGで黄色い家の一階から二階の寝室に階段を使って登っていくシュミレーションがCGポリゴンアニメにされて映し出される。これが最近テレビのニュースで流される「事件の現場再現」みたいに見えてしまうのもどうにもw。


《ゴーギャンの椅子》 1888年
 誰も座っていない椅子や机でそこに居るべき人を暗示する手法はよくあるものだ。ただ気のせいかも知れないが、ここで使われる色や配色はゴーギャンの絵に出てくるタヒチカラーを想起させる。ゴーギャンが黄色い家に来る前に描かれた作品。当然タヒチにも行ってない頃である。人一倍色への強い感覚を持っていたゴッホにしてわかる未来の暗示か、ぞぞぞぞぞ…。


《サン=レミの療養院の庭》 1889年
 一目見て感嘆の声を上げる人が多かった。私もこんなに木々の緑が輝いている絵は見たことがない。葉っぱのひとつひとつをこんなにも入念に仕上げていったのは入院中よっぽどヒマだったんだろう(?)。とにかくこれはいつ誰が見てもきれいな絵だ。ゴッホ生前でも十分に理解されいい値段で売れたのではなかろうか。ただまとも過ぎて現在の研究者からしたらあまり興味の対象にならないようだ。音声解説からも外れている(泣)。


 ゴッホという人、一貫して燃え盛るような絵を描いていたようなイメージだったが、こんな作風でも描いてたのか、と驚いた作品もちらほら。

《渓谷の小道》 1889年
 ググッても画像が見つからないので現地に行ってもらうほかないのだが、あのブリューゲルの版画みたいな世界観で、渓谷に流れる川の流れがでっかい鼻の穴みたいに見える不思議な世界。こんな風にみるの私だけかもだけど。

《あおむけの蟹》 1889年
 そのまんま、ひっくり返ったカニさんの絵w。赤い甲羅に緑のバック。まあ蟹の奇怪な姿のデッサン練習と赤緑補色の実験をしたかったんだろうなあ。しかしシャープで現代性を強く感じる。やっぱ出てくるのが百年早かったんだろう。と同時に日本の屏風絵なんかの影響もあったのかなとはちらっと思う。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 新国美に行く途中、珍しく予習として小林秀雄のゴッホ論講演CDを聴いていた。ゴッホのことをキ×ガイ、キ×ガイと連呼して今だったら人権問題になりそうな古き良き時代の大演説である。


 ゴッホは狂気に任せて独特の世界を築き上げたのではなく、自らの狂気と向き合い、それを克服して自分だけの芸術を極めていった。最近何かと個性個性ともてはやされるが、軽はずみに言うものではない。自分の本当の姿と向き合うのは命がけのことなのだ。

 小林のゴッホ/個性論は大変に面白いものだが、今はちょっと手に余るのでその内また気が向けばまとめてみよう。



<おまけ:ミニチュア《アルルの寝室》>
画像



 普段お土産を買わない私がまたも反応してしまうのは子供の頃の思い出がそうさせるんだろうな。またもフィギュアガチャガチャである(笑)。どうせならアイリスがよかった。もう一個!とも思ったけど、それこそ思惑通りなのでやめておいた。










Robert Koch: A Life in Medicine and Bacteriology
Amer Society for Microbiology
Thomas D. Brock


Amazonアソシエイト by Robert Koch: A Life in Medicine and Bacteriology の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ここで、こんなことをつぶやくと
「どえらい勘違いをしている ただのアホ」
と 思われそうですが

ピカソの線の勢い
ゴッホの生命あふれる色彩

微々たる歩みでいいから、近づきたいです。
七海
2010/11/01 16:40
「どえらい勘違いをしている ただのアホ」とは私のことに他なりますまい(笑)。
ああいう天才の技は普通の人の人生の大半を犠牲にしないと会得できないものです。迂闊に立ち寄らない方が…。くわばらくわばら…。
少佐
2010/11/01 21:02

コメントする help

ニックネーム
本 文
ゴッホ展 こうして私はゴッホになった(新国立美術館) 少佐の記憶-Memoirs of a major-/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる