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あまりにスゴすぎて、そう頻繁に手を出すことが出来ない傑作というものがある。私の場合、グレン・グールド/バッハ「ゴールドベルク変奏曲」やリヒター/バッハ「マタイ受難曲」、そして小津安二郎「東京物語」あたりがそんな畏敬の魔物である。「東京物語」は多くの人が指摘するように、作品を見る自分の年齢や状況により、胸に迫るシーンが変わっていく。今度見るとき、自分がどこでどのような気持ちになるか、それを想像するとやはりどうも怖じ気づかざるを得ない。その点、この「晩春」は比較的気楽に見れる小津の佳作である。 正月といえば小津映画。その昔、無くなる前の銀座並木座へふらりと会社帰りに立ち寄ったこともある。所有する「DVD全集」の中から今年はその「晩春」を京都出張の新幹線の中で見返した。これはLD時代(そんなものも持っていたのよ)から数えて恐らく4〜5回は見ているはずだが、今回見るのはもう十年ぶりくらいじゃなかろうか。偉大なるワンパターン、「嫁に行き遅れた娘とその家族」を描く小津スタイルはこの作品から本格的に始まった。 小津のショットはローアングルがとかく有名である。ちゃぶ台にあぐらをかいたり正座する日本住居独特の生活者視点に禅の境地を見る海外の研究者もいるというが、ちと大げさではないかと思う。私はむしろエロチシズムを見る(もっとムリか?)。背後からのクロースアップで女性が床に腰を沈めると、自然と劇場では観客の目の前に蠱惑なおしりがデーンとスクリーンに映し出される。時に足を崩して枝垂れ掛かる後ろ姿も(原節子演じる紀子が食事を取るシーン)浮世絵に見るような艶やかな肢体である。 こんな風に観る人は必ずしもまれではなく、更に紀子と父親の関係に近親相姦的背景があるのではという穿った論争も長く続いたらしい。そのような見方も面白いが、私はそこまでは賛成しない。最後の親子旅行、京都の旅館で枕を並べて話をする父と娘。再婚した叔父を「不潔」と責めたことを後悔し、(紀子を嫁に行かせるための口実なのだが)やはり再婚するという父を許すセリフ。「私、お父さんのこととても嫌だったの…」。しかし父親はいつの間にか静かに寝入っていた。私にはこの眠っている姿が死人の姿に見える。そして有名な「壷」のカットが二度繰り返される。紀子が壷を見ているかどうかも議論になっているが、それはとりあえずおいといて、壷に紀子の気持ちが投影されているのは間違いないと思う。 この場面の翌日、鎌倉に戻るため旅の荷物をまとめながら、「私、このままお父さんとずっといっしょにいたい」と訴える紀子はどういう動機から言っているのか。当時からすれば「我が儘」、21世紀に生きる今の我々日本人から見れば、「引きこもり」、「パラサイトシングル」、なんてキーワードが思いつくかも知れない(小津自身はずっと母親と二人暮らしだった)。いや介護問題から「自己犠牲」というのもあり得る。(「お父さんはもう五十六だ。お父さんの人生はもう終わりに近いんだよ」と紀子を諭す笠智衆は、実際には八十八まで生きているんだけど(笑)) 「壷」の解説はここに出ているのではなかろうか。迷い、拒絶、逃避、諦念、永遠…といった概念が昇華され、ここに禅の境地を見るのは妥当なことだ。少なくとも小津が繰り返し描いたのは「死と再生」だったはず。父親はやがて世を去り、紀子は子をもうけ、またその子が孫を産む頃、紀子もまた鬼籍に入るだろう。それを壷はただじっと見守っている。 四年後の「東京物語」で「紀子」は未亡人となり、「みんな薄情でひどい!」と憤る京子を「仕方のない事よ」と達観しなだめる役割を演じる。もちろん、この「紀子」は全くの別人だが、毎年小津映画を見に来ていた当時の観客はその後の「紀子」の姿として認識していたはずだ。 小津の撮り方でローアングルと共に特徴的なのが、人物や建物を並べて揃えるカット。二人の人物が同じ方向を向き、背を丸め座り込む姿はお馴染みのこと、正座からお辞儀をしてまた立ち上がるような仕草を複数の俳優に微妙にずらして取らせる。先に上げた京都の旅館では親子が、布団を敷いてさて寝ましょうかと動き出す間。なんでもないことなのだが、そこには美がある。よくわからないながら、「能」と関係しているのだろうか? 「晩春」でも途中、親子が能舞台を楽しむシーンがある。どうも「杜若」という演目らしいが、あの時の親子の状況と関係する内容だったんだろうか? 小津のコミカルな演出についても触れておきたい。よく言われるのが杉村春子の不思議な役割である。棒読みで生気のない登場人物が多い中、杉村演じるちゃきちゃきなおばちゃんはめちゃくちゃ浮いている。「晩春」では蝦蟇口を拾うエピソードなど最高におかしくて仕方がなかった。また「生まれてはみたけれど」あたりから定評がある、子供の扱い。「晩春」中盤に出てきた野球少年と紀子のやりとり。「なんだい、ブー! 泣いたくせに!」「あっち行けェ ゴムノリ!」 子供の頃、誰でも身に覚えのあるだろう、親戚のお姉さんにからかわれるこの一コマには思いっきり「原節子萌え」してしまった(笑)。ああ僕もいぢめて〜(爆)。 映画で最後に紀子が現れるシーン。身にまとった花嫁衣装は今観ても(白黒なのに)度肝を抜かれるほど美しい。終始うつむき加減の紀子の姿には鳳凰のイメージが湧く。やはり「死と再生」が込められている気がするのだが。 私は松竹から出ている「全集」を買ったけれど、(著作権切れ?)廉価版も出始めているようだ。 |
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