少佐の記憶-Memoirs of a major-

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zoom RSS 『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』(水村 美苗)

<<   作成日時 : 2009/01/08 23:12   >>

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 「アイムソーリー、アイキャントスピークイングリッシュ」。テレビニュースで、今年ノーベル賞を受賞した益川博士の受賞スピーチ冒頭の言葉を聞いて、私は複雑な思いに駆られた。ノーベル賞の受賞式において、英語以外で演説をしたのは二人目らしい(一人目も日本人である)。

 私はアマゾンの「和書売上TOP10」をいつもチェックしている。上位を占めるのはたいがいオタク本や「楽して儲ける方法」みたいなのばっかりだが、それなりに有益な情報は得ている。ある日そこで見慣れぬ学術的なタイトルが1位になっているのを見つけた。『日本語が亡びるとき』(水村美苗)。なんだってこんなお堅い題名の本が1位になるのかなと思い、ググってみたところ何人かの有名ブロガー達がこれを強力に推薦していたことが判明した。発注したものの数週間品切れが続き、私がこれを手にするまでしばらく時間が掛かってしまった。

 この本のどこがそれほど日本の知識層にショックを与えたのか? かいつまめば、著者の主張はこうだ。「英語は世界を制覇しつつある。残念ながら、近い将来もう誰も日本語を使わなくなる時が来る。具体的にいえば、今後日本に優秀な書き手が現れたとして、その人は日本語で書くだろうか?」

 ここで水村氏のユニークな経歴を紹介しておいた方がよかろう。水村氏は日本生まれだが、思春期をアメリカで過ごした。日本語ネイティブの彼女は常に英語に取り巻かれていた。彼女は日本語を探し求める必要に駆られ、自宅の本棚にあった日本近代文学に出逢う。こうして水村氏の日本語への偏愛は育まれたようだ。

 この本が更に衝撃的だったのは、日本のアカデミック社会の真実を暴いてしまったことだ。日本の大学の古株教授たちの仕事のほとんどは、単に西洋文化の「翻訳」に過ぎなかった。確かにそれは大いに我々の役に立ってきたのだけど、今や旧世代の大学教授達は絶滅の危機に瀕している。日本の研究開発事情は様変わりしているようだ。若い世代の研究者たちはもはや翻訳などしないのだ(そのまま英語などで発表する)。

 水村氏はこの「フラットな世界」で日本語がいかに生き残れるか分析し、主張する。だがこのエッセイは言語学の理論書でも教育提言書でもない。自分の溺愛する文学が死につつあることにもだえる、ただの嘆きの書と呼ぶ事も出来よう。実際今では日本近代文学を読む層はますます減ってきている。水村氏はただ単に「私の大好きな小説をもっともっとあなたたちも読んでちょうだい!」と日本人に訴えかけているに過ぎない気もする。

 著者には悪いが、私は日本近代文学が苦手だ。夏目漱石がわからないというアメリカ人同様、彼らの言わんとすることが私もあまり理解できない。更に言えば、もしかしたら現代日本の学生のコミュニケーション能力を台無しにしたのは彼らかも知れないと個人的には考えているほどだ。

 国語の時間、我々は含蓄ある行間を読み「筆者は実は何を言わんとしているか」鑑賞することを勉強する。だが、自分の言いたいことをわかりやすく伝え、相手を説得する論理的な展開の仕方については学校では教えてくれなかった。私は以前、アメリカの小学生が使う読み書きの教科書を見て、その論理・戦略性に驚いたことがある。水村氏の提言の一つに、学校で国語(読み)の時間を増やせというのがあったが、その授業の具体的な中身についてはついぞ触れられていない。

 ところで、最近日本の「グローバル」企業が、現地の従業員に日本の「WAY」とか「DNA」をいかにして伝えるかに苦労しているとよく耳にする。とても同情はするが、面白いのは世界のエクセレントカンパニーでは、そんな翻訳の苦労をしていると聞いたことがない。遅かれ早かれ、日本企業も方針を最初から英語で考えることになるのだろう。そもそも違う言語に翻訳(説明)不可能な人間の考えなんて、この世にないと私は思っている。あるとすれば、それは「よそものにオラたちの気持ちなんかわかってたまるか」と無意識に開示を拒絶しているに過ぎない。

 「英語を日本の第二公用語にしたって大丈夫。日本の文化はそんな程度で壊れやしない!」との河合隼雄氏の発言を私は支持したい。言語は文化と分けられないものか? ある程度はそうだろうが、全てではあるまい。言葉だけの問題? 英語をしゃべっても日本人であり続けることは不可能? 私は可能だと思う。それは「新・日本人」になっちゃうかも知れないけど。

 私が英語を熱心に勉強するのは、「英語なんてなんぼのもんじゃい!」としたいから。英語の達人になればなるほど、英語に気後れしなくなるじゃないか。所詮は言葉だ。私は「英語=知性」と評価される今の日本の状況がイヤでたまらない。ほとんどの日本人は英語が出来るとかっこいいという虚栄心から勉強している節がある。絶滅の危機があるとすれば、それは日本語ではなく、日本の閉鎖的で未熟な(一部の)文化こそが絶滅すべきではなかろうか。


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 オリジナルは先日英文記事としてうpしたものです。普段はしないのだけど、意外に反応があったので日本語訳を付けてみました。ちなみに、英文記事を書くときは、最初から英語で考える訓練なので、一度日本語を書いて英訳する手順は踏んでいません。

 これは逐語訳にもしていません。書いたときの自分の気持ちに沿った言葉や表現を選んでいます(ほんのちょこっと言葉も足してる)。原作者の意図を正確に解釈した「翻訳」として完璧であることは保証します(当たり前だ)が、英文和訳として学校の英語の先生に見せたら「×」食らうでしょうね(それ以前に英語が怪しいし)。

 私が試みたのは水村さんの仮説を身を持って体験しようとしたまで。つまり、日本人が最初から英語で書いたらなんか変わるのか。私自身が「新・日本人」になったつもりで書いてみました。

 しかし自分で書いた文章なのに、日本語に訳すのはえらい疲れた。改めて読むと、うわ、ずいぶんきつい言い方してるなーと呆れたり。自分が今日本に感じているフラストレーションが随所に現れてるのも否定しません。中でも「多くの人々が虚栄心からのみで英語を学んでいる」と言い切るのはいくらなんでも早計だろう。かくいう私にこそそうした部分がないとはいえないし。









日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
筑摩書房
水村 美苗

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